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2009年8月22日 (土)

武藤山治の先見性

S20090922  22日(土)午前は大和高田市の商社で業務分析の指導でした。取引先 の評価情報(声・意見)をヒントにして、いかに経営の仕組みの改善につなげるか■休憩時間の話題は、天候不順でアライグマ(特定外来生)がよく出没しスイカを食べてしまうそうです。ペットから野生化したアライグマの被害が多く、また猿の被害も増えています。■午後2時から福澤諭吉展での講演会は武藤治太氏の「武藤山治の先見性」、良いお話でした。■岐阜県海津郡の豪農に生まれた武藤山治は、子供のころから不正が許せない性格だった。■学問を愛する政治家であった父、国三郎の影響を受けて、創設間もない慶応義塾に学んだ。明治17S20090822_1S20090822_2年(1884)慶応義塾卒業。■卒業後19歳で渡米、見習職工として学び、20年(1887)帰国。■帰国してからは、銀座で最初の新聞広告取扱業をはじめた。■また、英字新聞『ジャパン・ガゼット』に勤めて当時の官憲政治の言論圧迫と闘った。■その後、26年(1893)中上川彦次郎による三井の改革時に招かれて三井銀行に入行。■翌年倒産寸前の鐘淵紡績に入社し、その再建に努め、天性の事業欲とアメリカ仕込みの敢闘精神で業績を伸ばし、工場の近代化や従業員の福祉向上を図って、後に「紡績王」「鐘紡中興の租」「鐘紡の事実上の創業者」と称賛され、衆議院議員として政財界の革新に尽力した。■また経済界きって筆の立つ人物でもあった。■とくに注目すべきことは、合理的経営主義とヒューマニズムで鐘紡を経営した武藤山治は「温情主義」の経営で知られる。■女子工員らの悲惨な労働環境を改善し、寮制度・日本初の共済組合設置・社内報の発行・等福利厚生に尽力し、鐘紡をわが国有数の大企業に育てあげた。■大正10年(1921)社長就任。■13年(1924)から代議士としても活動した。■昭和5年(1930)鐘紡社長を辞任。7年(1932)政界引退後時事新報社長となり、また、日本の近代資本主義を守るため、高潔な人格と卓越した識見、福沢精神の実践者として独立自尊の経営を求め、不滅の光を放っている。■とりわけ政商S20090822dsc06066_7S20090822dsc06066_10を憎み、政官財の癒着を攻撃。自身の命をかけて、論争を仕掛けた。■しかし、その彼も帝人事件で政財界の腐敗を糾弾中、昭和9年、鎌倉で暴漢に狙撃され没した。■今日から「水都大阪2009」が始まりました■大阪城天守閣を背景に敷き詰められた約1万5000個の行灯がとても幻想的でした。

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