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2015年9月11日 (金)

難波宮が『まぼろしの宮』になるまで(No3664)

大阪歴史博物館なにわ歴博講座第2期では、歴史・考古学分野における中世・近世史の最新の研究成果から、
都市・大坂のさまざまな側面にせまります!
■日 時:平成27年 9月11日(金)18:30~19:45
■場 所:大阪歴史博物館 4階講堂
■テーマ:「難波宮が『まぼろしの宮』になるまで」
■講 師:豆谷 浩之(当館学芸員)
■内 容:
難波宮は、今から約60年前にはじまった発掘調査によって「発見」されるまで、実態のわからない「まぼろしの宮」でした。それは、長い年月の間に、難波宮の痕跡や記憶が失われていったことを示しています。難波宮の廃絶以後、中・近世の史料や伝承を追いかけながら、その経過をたどってみたいと思います(案内文より)
■『日本書紀』や『続日本紀』に記された難波宮の所在地は、山根徳太郎を中心とする発掘調査により、現在の史跡指定地にあることが明らかにされました。
前期難波宮の遺構には火災痕跡があり、朱鳥元年(686)に焼失した天武天皇の難波宮にあたり、その創建は「大化改新」ののち、孝徳天皇により造営された難波長柄豊碕宮と考えられています。一方、後期難波宮は聖武天皇によって再建された難波宮です。
■大坂城は本願寺と寺内町の跡地に建設された。築城に伴って、多くの寺社が移転させられた。生玉社・高津社は上町大地北部から天正年間に現在地に移転。大阪城と城下町建設により、四天王寺より北の景観は大きく変化した。仁徳天皇の皇居はどこにあったのでしょうか。まだまだ不明なことが多い難波宮です。

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